• 梧桐彰

武人の語り場(第3回)

最終更新: 2019年7月23日

梧桐です。今日の予報はクマときどきクマです。


武道・武術・格闘技に関わる人たちに話を聞かせてもらうという企画、今回は第3回です。

この対談は本人の許諾を得たうえで掲載しております。

文中は敬称略となりますがご理解ください。


アマ格闘家、職業武術家と続き、今回はTwitter武術クラスタのアイドルにして、武神館武縁道場を経営をされている無職柔術師範にお越しいただきました。今回は直接お会いして、私がよく行く東京武道館のテラスでインタビューいたしました。



武神館の士道師(指導員)徽章(画像提供:無職柔術師範)




第3回: 無職柔術師範 様


梧桐:どうもTwitterではいつも無礼ですいません。よろしくお願いいたします。


無職師範:よろしくお願いします。なんか太った企業の重役みたいな人を想像してたんですけど結構イメージと違う人ですね。


梧桐:はい、一見してまともそうなふりをしています。


無職師範:で、どうして九鬼神流に興味を?


梧桐:あの、これ、師範のインタビューですからね? 私が聞いて師範が答えるんですよ?


無職師範:あ、そうでしたそうでした。ではなんなりと聞いて下さい。


梧桐:それではまず無職になった経緯を。


無職師範:そうですね。ある企業の総務をやっていたのですが。


梧桐:あのあのごめんなさい! これ一応ボケたつもりなんです!


無職師範:そうなんですか? 無職になるまでの話めちゃくちゃありますよ?


梧桐:それは労基署とかそういうところでお願いします! フリで無駄に凝りすぎてすいません。まずは武術をやるに至った経緯を教えてください。



■苦しかった少年時代


無職師範:そうですね。自分は小さかったころ、3歳から7歳までロサンゼルスにいたんですね。で、地域の治安がすごく悪くて。あぶなくて子供だけだと外を歩けないんですね。車が必須なんです。便利だからではなく、ないと殺される。アメリカってすごく誘拐が多い国なんですよ。校内で誘拐された同級生とかがいまして、暴行目的で拉致されてボロボロになった子とかいて、すごく怖くて。それで銃を親にねだったりしました。


梧桐:いきなりすごいところから始まりましたね。でも親御さんは日本人ですし、銃は買わないでしょう。


無職師範:そうですね。拳銃買ってくれと言いましたが、親は嫌っていました。それでなんとか武装しなければと思いました。ところが帰国してからはそういう思い込みとは全く別のまた違う合わなさがあって。アメリカはなんでもチャレンジしてみろだったんですけど、日本の小学校はミスに厳しい。言葉もうまくなくて、アメリカへ帰れとか言われました。でもアメリカでは差別はなかったけれど、自分はアメリカ人ではない。日本では日本人じゃないと言われる。アイデンティティに苦しみました。


梧桐:うわあ、日本の嫌なところが命中した感じですよね。


無職師範:辛かったですね。それで日本人になろうと思いました。まずは国語を必死で勉強しました。その一方で武装しないとと思って果物ナイフを持ち歩いたりしました。日本では銃はないし、武道の存在自体を知らなかったので。でもそこで、中学二年生でベスト・キッドに出会いまして。


梧桐:中学二年! ドンビシャじゃないですか。少年が空手やっていじめっ子と試合で戦うシーンはみんな感動しますよね。


無職師範:はい。これは空手だと思いましたね。刺したら大問題だけど殴るのならみんなやってるわけだし。当時受験をやれ、武器はダメだと親に言われたので、高校に入ってようやく空手を始められました。


梧桐:どんな空手でしたか?


無職師範:松濤館です。WKFルール(※)ですね。練習は約束、型、自由組手の繰り返しの普通のところでした。自由組手では中段は当てて良いルールです。


※ オリンピックで採用されている空手のルール。組手と型にわかれており、組手では一撃の俊敏さと正確さを競う。強打は反則。


ワンツー右ハイとかが得意でしたが、上段蹴りで失神させてしまったことがあって。恥ずかしい話ですが、当時はそれで調子に乗ってしまってましたね。自分は強いんだと。そして松濤館で初段、全空連の公認初段を取りました。ただ変なこだわりもあって、組手が好きだったんですが肋骨折られたときに、アピールして反則勝ちとかしたくなくて、それで一回戦負けしたこともありました。


梧桐:あ、それはなんかわかります。なんか「強い」と「勝ちたい」が天秤になっちゃうことありますよね。


無職師範:そうなんです。私は強くなりたい方でしたので。でも空手は好きでしたけど、あまりコンプレックスは解消されませんでした。日本人らしさっていうのがもっと欲しくなってしまっていて。それから文武両道を突き詰めたいという事もあって、勉強でもかなり時間を割きました。当時は概念としての日本人を求めるのに必死でした。悔しさや悲しさにいつも苦しめられていた気がします。英語も忘れていたし。


梧桐:うーむ。では進学したんですね?


無職師範:それが、頑張った割に受験自体はあまりうまく行きませんで。なんどかあまり上のほうではない学校を出たり入ったりがありまして、21の時についに鬱病になりました。本棚が沈んでいくように見えたりすることがあって、とてもきつかったです。病院に通ってましたが不眠症が苦しくて、体力が落ちるので武道に直接の影響が出ました。気分が悪いくらいなら道場通いできるのですが。


梧桐:というか、鬱病になってもやってたんですか。


無職師範:ずーっとやってました。十年以上やりました。一時期はITFテコンドー(※)にもいました。私は両手に障害があるので、蹴りが得意になりたかったんです。空手でも蹴りが得意でしたし。でもそこで靭帯を切ってしまって、試合ではあまり活躍できませんでしたね。


※ 国際テコンドー連盟。オリンピック競技であるWTFとは異なり、ITFはテコンドーの持つ武道的な性質を強く残して進化していると言われる。



■生きる力を与えてくれた武神館


梧桐:かなり若い時分は大変だった感じですね。


無職師範:はい。でも大学は結局そこそこ有名なところの文芸学科で国文を専攻し、卒業できました。村上春樹の初期作品で卒論を書きました。そのころはもう二〇代の後半になっていました。


梧桐:で、そこから大きく転身でしょうか?


無職師範:そうなんです。他流のセミナーに出てた時に、空手の師範に見つかって居づらくなってしまいまして。やめようと思い、そこで武神館(※)に出会いました。当時武神館は外国人や警官、自衛隊がやるものと思っていましたが、取手のグレイ先生の道場では入会条件は不問でした。忘れもしない、2005年8月6日です。


※ 戸隠流忍術ほか柔術、体術を統合した戸隠流忍術34代目継承者の初見良昭(はつみまさあき)を宗家とする道場。初見宗家は武術家としてだけでなく、戦隊ものの殺陣師などでも知られる。

武神館のワッペン(画像提供:無職柔術師範)


梧桐:印象的な日ですね。


無職師範:はい、すごく自分に合っていました。毎週、毎回、休まずに何があろうが通いました。技以上にその勤勉さを褒められました。毎回片道50分かけて自転車で通ってきたのを、師匠は今でも褒めてくれています。技術も面白かったし、空手は沖縄のものですから、ついに日本のものができたと思いました。千葉発祥というのもよかったです。愛国心とはまた別に、郷土愛や地元愛が持てなかった、便宜的に住んでいた千葉という地域にも、大きな意味を与えてくれました。あと外国人が多くてやりやすかったです。日本人だけだと窮屈な感じがして。


梧桐:武神館の技術はどうでしたでしょうか?


無職師範:毎回やる技が違いましたね。習得するには複雑で体系化もされていなくて、それは今もあまり変わらないです。難しかったです。物まねらしきものができるようになったのは入って2年目でした。客観的なものは先生のくれる段位だけで、最初のうちは無我夢中でした。


梧桐:私も実際に見学に行きましたが、技のバリエーションは多いですよね。


無職師範:はい。ただ、私は自分を小手先人間ではあると思っているのですが、その分徹底的にコピーできたのはよかったと思っています。士道師(※)になって師匠の後を継げたのもコピーになりきったからだと思います。


※  五段取得と同時に与えられる、指導員として道場を開く権利。


梧桐:指導者を信じないと、試合のない武術道場だとやっていくのは難しいですよね。


無職師範:ええ。でもそこが合っていました。自分の場合、試合がないっていうのもマイペースでいいなと思いました。試合で成果を出さないと、という強迫観念から解放され、それ以外にも自分の中のいろいろな問題を吸収してくれました。生きるために武神館に通いましたね。



■武神館の師範として


梧桐:そして道場開設ですよね。


無職師範:はい。と言っても道場開くのは最初は乗り気じゃなかったんです。でも流派と師匠に恩を感じてましたので、その流れでやってみようかなと。流派というのは、組織という意味と技術という意味があると思うんですが、自分にとっては技術でした。やっていくうちにその一貫性や効果が理解できてきて、とても魅力的に思いました。これを伝えられるならいいかなという考えからです。


梧桐:師範がやっているのは柔術以外に忍術もあると思うのですが、いろんな、というか端的にいって奇妙な目で見られることもあると思うのですが、それはどうお考えですか。


無職師範:忍術とその歴史の部分については、多くの宗教にある教典と同じようなものと思っています。海を割ったりする話と一緒で、歴史的事実や伝承については疑問ですね。歴史学的にも認められている竹内流柔術の資料とかと同列では語れないものでしょう。ただ、やってみて技術そのものの面白さを感じはします。実際に軍人や警官が価値があると思ってやっているものですし、組んでみればその効果には説得力があります。たとえば一文字の構えです。逃げるためにも使える技術ですが、対峙してやってみると明らかなリアリティがあります。私は民間人で軍務などの経験もないですが、ただ様々な人と技術を通じてやった中で、疑問に感じるものではないですね。


梧桐:私も体験に参りましたのでよくわかります。それ以外に道場開設に至った理由としては?


無職師範:打算的な面では、西洋人とやっていけると思いました。私は慣れていましたので、自分を高く売れるのかなと。実際にうまくやれました。アメリカを思い出すような気分でしたね。アメリカでの周りの人の思い出で、褒め上手というのがあるんですね。武術やってる人では多いと思うんですが、私は学校体育が大嫌いでした。人の評価が嫌になる文化でした。アメリカのように、言語化して褒め、伝わるように、わかるように指導するという方針が好きでしたし、自分にはできるという自信もありました。


梧桐:理詰めの指導はいいですよね。私も根性主義が嫌で論理的な武道が好きでしたからよくわかります。でも少し話は変わりますが、試合やスパーリングのない武術をやるということで、実力を懸念される場合もあるかと思います。そういう意見についてはどう思われますか?


無職師範:私もスパーリングのような稽古はやりたいんですけど、技が崩れるのは嫌なんですよね。結局空手やキックっぽくなるだけなんで、じゃあそっちを併修するべきかなと思います。第2回のインタビューに出ているイガリさんとも話して思ったのですが、スパーリングよりも受けて返せる練習をしたほうがいいなと。手元の武器を使うとか、実戦と言うのはスパーリングと違う点もあります。今は崩れることのほうが怖いので、道場としてのスパーリングは考えていません。ほかの道場への出稽古は問題ないと思います。ブラジリアン柔術なんかをやっている人もいますね。


梧桐:技術自体のリアリティについてはどうお考えですか。


無職師範:基本技は使えると思っています。空手と比べても遜色はないかなと。また、自然体でやっていけば、年が行ってからも使えると思います。



■道場主としてのメッセージ


梧桐:門下生としてのメインはどのくらいの世代を考えているのでしょうか?


無職師範:中学生以上で基本的な挨拶とかができればだれでもですが、メインは30代から40代の武道マニアですね。よその道場の話を聞くのも好きですし、交流もしたいので。そういう他流の話を嫌がる先生もいますが、私は積極的に他流派の話や知識に関心を持つべきと思います。


梧桐:今後の目標としては?


無職師範:まあ生きる基盤としてやっていこうかなと。武神館は私にとっては武器というより信仰や宗教に近いものなので。あとは、道場経営では平均して月に2万5千円くらいの収入なので、もう少しお金になればいいとは思いますが。


梧桐:子供の指導をするのはどうでしょうか。


無職師範:武神館の技術では少年部は作りにくいですね。忍者ごっこ的なものはできるでしょうけど、そういうセンスはないので、やはり同年代の武道マニアを狙っていこうかなと。あとはそろそろ貯金も尽きるので仕事をするつもりです。


梧桐:えっ!


無職師範:しますよ?(笑)


梧桐:ハンドルネームの意義が(笑)



■武神館の思い出と今後のこと


梧桐:ポリシーのようなものはありますか。


無職師範:そうですね。師匠は尊敬しても崇拝はしないということですね。師匠には敬意を、流派の技術に忠誠をと思っています。技術が芯になるものだなと。あと触れなくても倒せるとか、神秘に走ることはしません。そっちへ行くと本当にわけがわからなくなるので。あくまで、具体的に攻めてきた相手を具体的な技術で倒す武術でなければいけないと思っています。型稽古は閉じられた世界のものなので、そうした点での注意は必要とは思っています。


梧桐:ありがとうございます。宗家の初見先生についてのエピソードがあれば何か。


無職師範:四段の時に初めてお会いしました。初見先生が私の師匠のグレイ先生を「優しい先生でしょう」といったのですが、私は何を勘違いしたのか突然土下座してしまいました(笑)。歴史上の人物に会ったみたいな、浪人が将軍にあったみたいな気分でしたね。


梧桐:初見先生の技術はどうでしたでしょうか?


無職師範:無駄がないなと思いましたね。いつ技が決まったかわからないし、ふらっと力が抜けているような。ただ予定調和で倒れている感じではないです。空間という言葉をよくおっしゃっていました。間合いの取り方ですね。神秘的であっても神秘ではありません。後ろからの剣を避けたりする審査はありますが、衣擦れの音から察知するとか、必ずなんかしら物理的な方法は用意されています。それをしっかり理解して習得する方針ですね。


梧桐:師範の直接の先生であるグレイ先生の魅力はどんなところでしょうか。


無職師範:日本人ぽかったですね。日本には20年くらい暮らしていましたので。西洋と東洋の良いところをとっていた感じがあり、魅力的でしたね。神秘的なものの中に合理性を見出し、それを言語化できる先生と思います。メインは玉虎流でした。刀もやっていました。ただ、本部では武器もかなりやるんですが、グレイ先生は体術が中心でした。武器は道場へ持ってくるのが大変で。


梧桐:たしかに、それは(笑)。ではそのほかに何か、武道関係のご意見があれば。


無職師範:そうですね。もうちょっと生活できるようになっていればいいのになと思います。職業としての武道家ってあればいいなと思う。今だと警察、自衛官、教員、あとはよほどの大道場の指導員くらいですからね。文化財として補助をするとか、そうなればなあと。夢みたいな感じですけど。


梧桐:影響を受けた方や尊敬された身近な方がいれば、ご紹介をお願いします。


無職師範:そうですね、影響を受けたのがイガリさんと白鯨万力バサミさん。憧れながらもシンパシーを感じるのが$HOGUNさんですね。


梧桐:ありがとうございます。それでは最後に何か一言。


無職師範:今はまずは多くの出会いに感謝しています。経営している武縁道場という名前もそこから付けました。今後も多くの縁を大切にできる武術家でいたいと思っています。


梧桐:今日はどうもありがとうございました。


無職師範:はい、ありがとうございました!



無職柔術師範は若い時の苦い経験を経て武神館という心の拠り所を手に入れ、武術に打ち込むまでに至りました。宗教的信念を持ちつつもカルトには走ることなく、現実と折り合いをつけてしっかりとした技術を習得してきており、良い出会いに恵まれたのだなということがお話しから伝わってきました。


また私がイメージする武神館は現代武術の中でも比較的大流派で保守的だったのですが、無職柔術師範は忍術を現代の護身具と組み合わせたり、ジムにも通って体を作っているなど、保守的になることなく前向きに武神館を継承、発展させる意欲をお持ちでした。


最後にライトと格闘技を組み合わせた師範の技を一つ紹介いたします。


師範の経営する武縁道場の発展もあわせて心からお祈りしております。


■武縁道場紹介■

稽古日時:

毎週土曜日 午後8時〜午後10時

毎週日曜日 午後8時〜午後10時

場所:

JR常磐線柏駅そば

千葉県柏市明原1-2-4 カプリコーンビル 2F奥のスタジオ です。


ではでは、梧桐でした。

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